機械(からくり)の唄#2
そういう事情もあってか、小中は幼少期からものづくりが好きだった。特に自動車や二輪車などの移動機にとても興味を持ち、ありとあらゆるプラモデルを両親にせがんでは幼いながらも見事なまでの完成度でそれを仕上げていた。その完成度は大人であっても目を見張るもので、小中の親戚の「中山のオジサン」などは、
「シゲはすごいらぁ。」
とよく近所の人たちに自慢していた。近所の人らもそれはそれで小中のウデを認めていたからとても感心し、だれが言い出したか
「天狗小僧」
というあだ名で呼ばれ始めた。小中はそれが嬉しかった。
この点、小中の奇妙なところである。例えば、天才や神童と言われれば嬉しいことはわかる。しかし、天狗小僧である。天狗であり小僧である。天狗にしても小僧にしても、おおよそいい意味があるとは思えない。
ところが、小中が喜ぶ理由も納得できる。天狗小僧とは江戸時代に活躍したおそらく日本で最初の天才クリエーターの幼少期のあだ名である。平賀源内その人だ。
平賀源内は、讃岐は志渡浦という土地で生まれ育った。三男坊である。幼名は四方吉。源内の父である白石茂左衛門は高松藩で米の蔵番をしていたというから、その家庭は貧しくはないのだろう。そういった家庭事情も手伝ってか源内はわずか齢十一でその才能の片鱗を見せた。御神酒天神である。
御神酒天神は天神様の顔の部分に朱と肌色の二色を用意し、天神様に酒を供すると肌色をしていた天神様の顔に赤みが差すという掛軸型のからくりで、今から見るとひどく幼稚である。しかし、彼はこれをその齢で作り上げた。しかも当時の技術で。さらに特筆すべきはその企画力である。
例えば、同じ仕掛けであれば武士が抜刀したり納刀したりといった絵柄でも成立はする。だが、問題はそれを誰が見たいのかというところにある。その点、御神酒天神はおもしろい。日本人はよく御供えをする。それが神様であれ、ご先祖であれ供物を捧げる。しかし、これは当たり前であるが、捧げた側はその供物がどうなったかは分からぬ。その点、御神酒天神は酒を捧げれば天神様の顔に赤みが差すため、
「天神様がお召しになられた」
ということになる。まさに天才クリエーターの片鱗と言っても過言ではないだろう。小中はそんな平賀源内にひどく憧憬し心酔し、そのあだ名を誇りとしていた。