機械(からくり)の唄#3
少し源内の話を続けたい。平賀源内と言えば「土用の丑の日」の標である。だが、この説は通説ではあるもののいま一つ信憑性に欠けるものらしい。
土用とは雑節の一つで歴によっていつが土用にあたるかは諸説あるため、詳細は省く。土用は四季にそれぞれあり、春の土用の丑の日には「い」、夏には「う」、秋には「た」、冬には「ひ」のつく食べ物を食すとよいとされおり、江戸では夏の土用の丑の日に「う」のつく鰻を食べるようになった。
源内の逸話は有名であるため諸氏の知るところであろうが、それによれば、夏に売り上げをのばしたい鰻屋が源内に相談したところ、源内が「本日土用の丑の日」と書いて店の軒先に掲げた。すると鰻が飛ぶように売れ、他の店がその様子を真似たことで江戸の町に広まったという説である。
この説に疑義を唱えるのは単に記録がないからであるが、源内は大風呂敷を広げる癖があったらしい。特に当時など記録も多く残るものではないし、残っていたとしても正しさなど保証できない。いわば言った者勝ちである。源内が大風呂敷を広げ、
「あれは俺が言った。」
と言えば、源内という偉人が言っているという事も手伝って簡単に世間に浸透するだろう。この点は幕末の勝海舟などもそうであったというから、偉人と言われる人にはそれくらいの豪胆さが必要なのかもしれない。
であるから、源内の言は虚実ないまぜの蓋然性がある。しかし、彼自身がエレキテルを発明したのは事実であるし、歌人としての才能もあったらしい。その点からすると、平賀源内は一般的に言われるクリエーターというよりもレオナルドダヴィンチのような「万能の人」といった様相が近いのだろう。