炎上商法ってアリなのか!(雑談)
自己紹介から前回までのブログを書きましたが、どう思われました?
「他のブログに比べて圧倒的に文字が多いな!」
って思いませんでした(笑)?
もちろん、極力不要な文字は削減するように心がけています。
で、その大前提の上で心がけていることとしては
「なるべく写真を使わない」
ってことなんです。
なぜか?
写真を撮るのも撮られるのもキライだからです(なんじゃそりゃ)
写真を撮るのが嫌いなのは単純に写真を撮る理由を見出せないから。
撮られるのが嫌いなのは意味のない写真を撮っている人の姿を見るのが嫌いだからです。
<写真を撮る心理>
皆さんは、どうして写真を撮るんですか?
私は記録をするためです。
つまり私にとって写真とは記録媒体なんです。だから見返さない写真には何の意味もないんです。
だから、○○の公演がいついつにある、とか、そういう記録したいことに関しては写真を撮りますが、「きれいな景色」とか「おいしそうな料理」とか記録しても意味のないモノはよっぽどのことがない限り撮りません。
だからいつも不思議なんですよ。何かアクションがある度に周りがスマホを取り出すのが。
だって、それを五感で感じることができるのはそこに居合わせた人の特権なんだから。その贅沢な権利を放棄してまで、なんで写真を撮りたいの?って思ってしまうんです。
いや、分かりますよ。InstagramなるSNSが流行っているのは。存じ上げておりますとも。で、インスタ映えって言葉も知っていますし、なんとなくの意味も分かっています。
でもね、聞きたい。
「映えさせた先に何があるの?」と。
ホントに分からない。若者らしからぬ観点かもしれませんね苦笑
<写真を撮られる心理>
っていうこともあって、私は意味の分からない写真撮影は嫌いなんです。
これは誰かと出かけたときとかによく感じることですが、レストランとかで料理が出てきたときに相手がケータイを取り出してパシャパシャしだすとイラッとするんです。
尤も、これは心理学的にもファスティングっていう名前で知られている心理状態らしいです。話しているときに相手にケータイいじられるみたいな。そんな感じに似ているそうです。
だから、自分がその被写体になることは嫌なんですよ。だって自分がいなければ、その写真撮影が行われることはなかったわけですから。
で、いよいよタイトルのことに言及しますが、写真や動画って炎上商法につながりやすいと思うんですよ。
外国でも命がけで写真撮影をして命を落としてしまう方もいるわけで、もう少し自分の時間の投資先を考えてもいいのでは?と思ってしまうんですよ。。。
炎上商法がアリかナシかの結論は出せませんが、そんな理由もあって私は極力文字で表現していきたいなと思っております。