駅探訪 市ヶ谷(東京メトロ有楽町線、東京メトロ南北線、都営新宿線、JR総武本線)
駅探訪、今回の舞台は市ヶ谷です。
市ヶ谷は言わずと知れた大日本帝国軍の参謀本部があった場所ですね。
ということで軍事施設があるので当然地盤は硬いです。
ではなぜこの地に参謀本部が設置されたのか。
そもそもこのあたり一体は山の手と呼ばれており、高台地帯です。
(山の手というのは「山の方」という意味です。上手(かみて)などと一緒ですね。)
元々山というか丘というか少し標高が高く、そのため地盤が硬くなっています。
江戸城がこの下にできたのもそういう背景があったんですね。
山(丘)に囲まれていれば多少防衛はしやすいですから。
元々参謀本部は井伊家の屋敷跡地を利用して三宅坂にありました。
この理由はおそらく内憂にあると考えられます。
明治維新期には当然のことながら維新に反発する因子もいましたし、そこから御門を守る意味で三宅坂にあったと考えられます。
(永田町も近いので各軍省との連携も取りやすかったのでしょう。)
それが時代が進み太平洋戦争直前になるともはや内憂を思慮に入れる必要がなく、用地を最適化するために場所を移ったと考えられます。
ちなみに、山の手ですが高台は町人達が住む下町とは隔世された場所になり、多くの大名屋敷がありましたが、大名達がいなくなると、今度は多くの中流〜上流階級の人たちが住むようになりました。
六本木ヒルズ(ヒルズはhills(丘))など高台がステータスとなっているのはこういった背景があるようですね。
これまた余談ですが、市ヶ谷には法政大学と中央大学という文系の大学があります。
(もちろん理系もありますが。)
そして昔は今以上に文系軽視の風潮があり、学徒動員時などにも文系の学生は簡単に前線の兵隊になってしまっていました。
そう考えるともしかしたら参謀本部にはそんな思惑があったのではないかと穿った見方を禁じえません。。。
↑こんなのあるんですね笑、知らなかった。。。
↓私が読んでたのはこっちです。