駅探訪 永田町(東京メトロ有楽町線、半蔵門線、南北線)
駅探訪、今回の舞台は永田町です。
永田町といえば言わずと知れた政治の街で、霞ヶ関があるところですね。
朝日新聞など新聞各社では官僚達のいる場所の代名詞として使われているような感じを受けます。
永田町はこの辺りが昔永田馬場と呼ばれ、永田姓の居住区域があったことに由来するようですが、永田町の三宅坂などは市ヶ谷に移転する前の陸軍参謀本部があったようです。
そして現在は政界の関連施設が周囲にあります。
そのような場所なので地盤がしっかりしていることは疑いの余地がありませんね。
では、そんな強い地盤の土地に居住していた永田とは一体何者なのでしょうか?
国立国会図書館のリファレンス事例詳細によると、永田町(永田馬場)の由来になった永田伊織という人物は、
寛文9年(1669年)12月12日に禄を継ぎ、小普請となった様です。
小普請とは役職についていない旗本・御家人のこと。
つまるところ永田伊織はそこまで重宝されていなかったと推察されます。
とすれば、永田馬場が重要な土地だったために政府の重要な建物を置いたわけではなく、それらを置いたから永田町が重要な土地になったということだと推察されます。
尤も、江戸幕府末期には井伊直弼などの超大物も住んでいたんですけどね汗
永田町の様子が一変したのは国会議事堂を建造してからの様です。
そこから日本の政治の中枢が一気に集まったとか。
もしかしたら江戸を中心に据えると永田町はちょうど鬼門と反対側に当たるので、そこを考慮して永田町に国会議事堂を築いたのかもしれませんね!